ブロッキング

順番として、まずそのひと個人のしあわせだとか健康を望むので、自分に対して何かしてほしいというのはあまり思いつかない、というか、あんまり考えていないっぽい。年齢と性別問わず。

烏滸がましい言い方だけれども、役目が果たせたな、と思ってそこで途絶えることもある。なんでだろう。ふと思い浮かんだキーワードで検索してみたら、ああなるほど、みたいなことが書いてあった。ああ、なるほど。

相手の中のそれを外すこと、許容すること、解放することが大事だと思っている節がある。そう思っていて苦しいのなら、そう思わなくてもいいんですよと伝えて、できることがあれば手伝う。きらきらしてゆく姿を見てそういうことを通じて自分も癒されていたり、自分のねじれた部分をほぐしていたのかもしれない。そういうのは、互いの成長だったらよいなと祈る。すべてのことをここには書けないけれども、たぶんそういうことなんじゃないかと思っている。もしくは、なんとなく、そう感じた。理屈より先に。

だから、ではないけれど、そもそも、苦しそうにしているあなたはもっと自由であっていいはずです。自分を縛っていたり責めているのならそれをやめていいのだと思う。原因は自分の外にあったとしても、そこから動けるのは自分自身だから。とりあえず、求めているもの、どうにも埋められないものを手にするにはどうしたらよいのかを考えていいと思う。それは、やっていいこと。一応(好きな言葉ではないけど)常識の範囲内なら確実に問題はない。

 

少し荷物を持ってほしいとか、手伝ってもらえたら助かるなーとか瞬間的なものはあっても、拒んでいるとか望んでいないというよりは、単に考えてなかったなあという感じ。だから他者への訴え方がわからなかったのかも。そのへんは、小さく試してみることとする。

いいことも悪いことも、心のどこかで意識しているとそのように引き寄せられるのだなあと思った。

 

齢28にして一人暮らしを始めて、人は一人では生きられぬということをよく考えさせられる。たとえば、突っ張り棒の棚を一人ではつけられなかったとき。エピソードちっさいな。

実家で生きてはいましたが両親が共働きなのもあって基本的な家事はやっていたのでそんなに困ることもない。今困っていることと言えば、フライパンより深い鍋がないので料理が作りにくいってか大して作れない、台所が狭いのでまな板を洗濯機の上に置いて使うことがある、部屋干しができる状態でない、収納スペースがないのと衣類の整頓ができてなくて部屋の片隅の死角(ドアの裏側)が山盛り。

 

ベッド下の収納力に賭けるか、早く取捨選択して実家送り返すかこっちで捨てよう。たぶん服も入れ替えていいと思うのだよなあ。愛着はあっても着ないなら仕方なし。

 新しくなってみよう、という試み。形からでも、形だけでも。